中学1年生から6年間イヤーマフを着けて学校生活を過ごしていました。高校を卒業して3年経った現在思い返すと、聴覚過敏の辛さは「苦手な音」ということよりも「周囲に理解されにくい」ことだと感じています。
「聴覚過敏」と診断を聞いた当時は、私が何故音に対して苦しんでいたのか原因が気づき、少しずつ受け止めるようになりました。また前向きに向きようになりました。
私の実体験をもとにお話していきたいと思います。
中学1、2年生クラスみんなに伝えたいと相談すると担任からの反対
中学1、2年生の夏ぐらいの時に自分が聴覚過敏のことを言った方が良いかなと母が言いました。
なぜかというと、自分が初めてイヤーマフをつけるので許可とかいただかないといけないので先生や校長の許可も必要でしたので、事情を話した後に使用許可をいただいたことは良いのですが、クラスの子たちに自分が「聴覚過敏」のことについて説明したかったのですが本心でしたが、先生方に反対されました。
なぜかと、聞いてみたら「まだ、このことを話すことが早い」など、言われました。
もっと、クラスや学年に「聴覚過敏のこと」を説得していたら、クラスを孤立しないで仲良くできていたかもしれません。
クラスメイトには、変な偏見や特別扱いしてるなど、悪口や変な噂が広がったのでした。
私はそんなことは想定外でした。
ただ、「私は聴覚だけが敏感であって、防音アイテムをつけるだけでそれ以外は普通に過ごせる」っていうことをわかって欲しかったのに、そんなことを言ってはダメだと思いもしませんでした。
家族も無理解なことがある
また当時、自分が中学1年生ぐらいの時、姉にお世話になった家主さんと姉と私と双子の妹の4人で京都で観光をしていました。
その時は、耳栓やイヤーマフとかしてなかった時期で、いろんな音や人混みが苦手で、特に京都の街並などをみながら観光していましたが、犬がいたり、人が多いところでは耳を塞がっていました。
そしたら、姉が「なんで耳塞いでるの?写真撮る時はうさがないで欲しい」とか理解してくれなくて当時はとても辛いです。
たまに母にも「なんで耳塞いでるの?、大丈夫やん」とか言う時もありました。
家族は理解していましたが、たまに理解できないところもあるんだと感じました。
まとめ
最近では、「聴覚過敏」が定着しています。
しかし、私みたいにイヤーマフなどの防音アイテムをつけて外に出ると「耳につけているものを外してほしい」とか「ヘッドフォンを外してほしい。会話しているのに耳につけているものを外さないと失礼じゃない」と言われ、周囲の人の視線や会話を聞くことがとても悪く、外に出たくても出たくないという気持ちも出てきました。
学校では、自分が聴覚が敏感で「私みたいな人もいるよ」ことも知って欲しかったのと、イヤーマフなどの防音を使っている人もいるよということだけでも理解して欲しかったのですが、先生側と同学年はわかっていても全校生徒は理解出来てないことは不公平だと当時も今も考えてます。
家族は自分が持っている症状は理解してくれましたが、たまに出かける時や写真を撮る時に「防音アイテム外して」と言われることがありました。当時「しんどいからやめてほしい」とか「勘弁して」と思ったので、しんどかった時だけは頑固拒否してました。
理解をすることは全員は難しいですが、少しでもそういう人もいることを知ってくれたらいいなと思います。