はじめに
私は、聴覚過敏やミソフォニアによって、日常の音に負担を感じながら生活してきました。
ただ、振り返ってみると、本当につらかったことは
音そのものよりも自分の聞こえ方やしんどさを伝えている時、周囲に理解してもらえなかったことでした。
外から見ると、普通に生活しているように見えていたと思います。
だからこそ、困っていることが伝わりにくく、そのたびに戸惑いや孤独を感じることがありました。
この記事では、
私自身の体験をもとに、音の聞こえ方と、それを周囲に伝えても伝わらなかった場面について、
場所ごとにまとめています。
同じように悩んでいる人が、「自分だけではない」と感じられること、少しでも、選択肢を広げていけたららいいなと思っています。
音に対する私の聞こえ方
私の場合、すべての音が常に大きく聞こえていたわけではありません。
ただ、環境や状況によっては、
周囲の音が一気に重なり、強く感じられることがありました。
人の話し声、足音、車の音、生活音などそれぞれは日常にある音ですが、
重なったときに、頭の中で整理ができなくなり、体が緊張してしまう感覚がありました。
私が一番つらかったこと
音がしんどいこと自体も、負担ではありました。
ただ、それ以上につらかったのは、聞こえ方を説明しても、分かってもらえなかったことでした。
「気にしすぎじゃない?」、「大丈夫そうに見えるよ」
そう言われるたびに、
自分の感じ方がしんどいという状態を軽く扱われているように感じることがありました。
普通に生活できているように見えるからこそ、困っていることが伝わらず、
説明しても伝わらない状態が続いていました。
学校という場所で感じた、理解の壁
学校では、担任の先生が話を聞いてくれたこともありました。
個別に相談できたことは、ありがたく感じていました。
一方で、周囲に事情が説明されることはなく、
事情を知らない人からの視線や言葉に戸惑うこともありました。
説明されないまま過ごすことで、理解や偏った受け取られ方が生まれてしまう。
その中で学校生活を送ることは、私にとって大きな負担でした。
音以上に負担だった「理解されない状態」
聴覚過敏やミソフォニアは、
努力や気の持ちようでどうにかなるものではありません。
それでも、
「普通にできているように見える」、「説明しても伝わらない」
という状況が続くと、自分の感じ方がおかしいのではないかと考えてしまうことがありました。
音のつらさ以上に、理解されないまま日常を過ごし続けることが、心に残る負担になっていたように思います。
同じように悩んでいる人へ
音に対する感じ方は、外からは分かりにくいことが多いです。
普通に生活しているように見えても、内側ではしんどさを抱えている人もいます。
この体験が、「伝わらないつらさ」を感じている人にとって、
自分だけではないと思えるきっかけになれば嬉しいです。
無理に説明しきれなくても、我慢し続けなくてもいい。
考える余地があることを残せていたらと思います。

