小学生になってから音がつらくなった理由
保育園の頃から大きな音は苦手でしたが、小学生になるまでは「音に弱い子」くらいの認識でした。
当時は「聴覚過敏」という言葉も知らず、自分の状態を説明することもできませんでした。
小学校に入ると、生活は大きく変わりました。全校朝礼、運動会や学芸会、校内放送、チャイム、体育館での活動など、集団で過ごす時間が増えました。教室の中でも、常に誰かの動きや声があり、静かな時間は意外と少なかったように思います。
音が急に増えたというより、「音から離れにくい環境」になったことが、私にとっては大きな変化でした。学校という場所そのものが、少しずつ負担のある空間になっていきました。
学校生活で特につらかった場面
朝礼や行事では、多くの人の声が重なります。スピーカーから流れる声や音楽が反響し、その場に立っているだけで緊張が抜けなくなることがありました。
教室では、授業中でも細かい音が気になりました。ページをめくる音、筆記具の音、椅子の引きずる音、隣のクラスの声。ひとつひとつは小さな音でも、それが積み重なると落ち着かなくなりました。
それでも当時は、「音がつらい」とはっきり言えませんでした。うまく言葉にできなかったのだと思います。
小学生の私がとっていた3つの行動
音がつらいと感じたとき、私はいくつかの行動を繰り返していました。
① 手で耳を塞ぐ
いちばん多かったのが、この行動でした。
突然つらくなったとき、とっさに耳を押さえる。それだけで、少しだけ落ち着くことがありました。完全に音が消えるわけではありませんが、「今しんどい」という状態から少し距離を取れる感覚がありました。
ただ、この行動はとても目立ちます。授業中や朝礼中に耳を塞ぐ姿は、周囲から見ると不自然だったと思います。
当時の私は、「目立つかもしれない」ということよりも、「今どうにかしたい」という気持ちのほうが強く、反射的に耳を塞いでいました。
② 我慢する
「これくらいなら大丈夫かもしれない」
そう思って、何もせず座り続けることも多くありました。音がつらくても、表情を変えずにやり過ごそうとする。周りに気づかれないようにする。
でも、体は正直でした。足が揺れたり、無意識に力が入っていたり、集中できなくなったりしました。我慢はしているつもりでも、内側ではずっと緊張していました。
③ 静かな場所に移動する
どうしても耐えられないときは、その場を離れました。トイレに行く、廊下に出る、保健室に行く。
静かな場所に移動すると、少しずつ呼吸が整い、頭の中のざわつきも落ち着いていきました。
当時は「対策」という意識はありませんでした。ただ、その場にい続けることが難しかったから動いただけでした。
今振り返ると、これらはどれも私なりの自己防衛でした。
耳を塞ぐ行動が誤解につながったこと
問題だったのは、音そのものだけではありませんでした。
耳を塞ぐ、落ち着かずに体を動かす、急に教室を出る。これらの行動は、周囲から見ると「変わった子」に映ったのだと思います。
クラスメイトが私の真似をすることもありました。影で何かを言われていると感じることもありました。
実際に言葉を向けられたこともあります。
私は「音がつらいからそうしている」と説明できませんでした。
その結果、音のしんどさに加えて、「なぜ分かってもらえないのか」という孤立感を感じるようになり、味方がいないと思うようになりました。
学校に行く前から緊張するようになり、朝になるとお腹が痛くなることもありました。
少しずつ学校が怖い場所になり、一時期は不登校になりました。
今思えば、音への反応が誤解につながり、その誤解がまた不安を強めるという循環の中にいたのだと思います。
小学4年生頃から増えた音への不安
高学年になる頃には、大きな音だけでなく、細かい音にも意識が向くようになりました。
それ自体が危険というわけではありません。ただ、「また気になってしまうかもしれない」という予感が先に立つようになりました。
音が鳴る前から構えてしまう。その状態が続くと、学校生活そのものが消耗の連続になっていきました。
10歳で聴覚過敏と診断されるまで
母は、私の様子を見て「もしかしたら何かあるのかもしれない」と感じていたそうです。
10歳のとき、クリニックを受診し、「聴覚過敏」という言葉を知りました。
診断を受けた瞬間にすべてが解決したわけではありません。
ただ、「自分の感じ方には名前がある」と分かったことは、知っていく中で、つながりました。
理由が分からないまま責めていた自分に、「もしかしたら違うのかもしれない」と思えるようになりました。
診断後に少し変わった学校生
家では、椅子や机に滑り止めをつけるなど、できる範囲の工夫を始めました。学校では、しんどいときは担任に伝えて静かな場所へ移動することもありました。
音が消えたわけではありません。それでも、「我慢するしかない」から「少し動いてもいい」に変わったことは、私にとって大きな変化でした。
小学生時代を振り返って
当時の私は、音よりも「自分がおかしいのではないか」と思うことのほうがつらかったように思います。
小学生の私は、完璧な方法を持っていたわけではありません。
ただ、音への逃げ道を探すことで、自分なりに過ごそうとしていました。
今振り返ると、その行動は間違いではなかったと思っています。

